【引用】 歌を通して自分の人生を振り返ったこと自体がめっちゃ尊くて、歌を詠む意味はそこだな、そこを含めて歌だな、という気持ちを詠んだ歌でした。
川添:私の中では、俵さんの〈作品は副産物と思うまで詠むとは心掘り当てること〉(「アボカドの種」所収)が、AIの創作と人間の創作を切り分ける答えだと思っています。
AIは作品をいっぱい作るけど、私はこの歌から「人間にとって作品はあくまで産物であり、心を掘り当てることが創作の醍醐味なんだ」と教えていただいて、すごくしっくりきました。
俵:その文脈でこの歌を読まれたのは初めて。
すごくうれしいです。
一緒に歌会をやっているホストの子たちが、新人賞に応募しようとたくさん歌を書いてきたんです。
震災で被災したとか、幼少期に虐待を受けたとか、複雑な恋愛とか、歌を詠むことで人生を振り返って、言語化してもう一回見つめ直すという作業をしてきた。
それを目の当たりにした実感として、歌は「副産物だな」と思ったんです。
歌を通して自分の人生を振り返ったこと自体がめっちゃ尊くて、歌を詠む意味はそこだな、そこを含めて歌だな、という
気持ちを詠んだ歌でした。
データは対話を誘引するためのものに通じる。
《創作の醍醐味》
「単一の作品を生み出す」という意味における《創作》は、その「単一の作品」が生み出された時点を終着駅とする。
その終着駅自体はAIに取って代わられうる。
一方で、終着駅ではなく、その終着駅に向かう途中の旅路そのものに価値を置くという意味での《創作の醍醐味》は、AIには代替不可能。
なぜなら、旅路は当人の心の中の蠢きであり、極めて強い当人性を持っているから。それを(AIの学習データとして)当人の外側に取り出してしまったら、その時点で別物になってしまう。
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#2024/01/14
『【俵万智さん×川添愛さん新春対談】SNS、AIの時代…分かり合うための言葉とは』
俵万智
川添愛
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